仏の顔も3℃まで

はてなダイアリー終了に伴いお引越し。思い出は残しておこう…。


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…という挨拶すら懐かしいな…みなさん元気に趣味に邁進されてますか?


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It's a Wonderful Life

まだまだ捨てたもんじゃない(挨拶


なんという一日だ。そう思った。




午前中、家族から連絡がきた。
従姉が無事赤ちゃんを出産したそうだ。
予定日より一週間以上も早い出産だ。ちょっと体の小さい女の子だそうだ。
母子共に健康。電話口で思わずガッツポーズをかましてた。
早く顔を見たい。


余談だが、結構その従姉に憧れていたりもした。昔の話だ。




昨日のブログで書いたが、今日の少し変わった外出先。
自分がガキの頃暮らしていた場所をブラブラしていた。
理由は特にない。ただ、どうしても今見ておきたい、と思った。
なんでか相方もついてきた。家でFMラジオのアニソン特集ずっと聞いてりゃいいのに。
ま、悪い気はしなかった。


呆れるくらい変わってなかった。
小学校。校舎が幾分汚れて見えた。もちろん生徒はいなかった。
通学路のど真ん中に駄菓子屋がある。今日も変わらずある。
自分がガキの頃はメンコやらビックリマンやらラーメンばぁやらガムラツイストやらネクロスの要塞やら、まぁそんなのが大人気だった。
今のガキは何を駄菓子屋で買うのだろう。
ちょっと店の中を覗いたが、品揃えにも変化がなかった(ように見えた)
賞味期限とか大丈夫なのか。大丈夫か。


中学校。部活動のせいか生徒がチラホラ。
正直、いい思い出の少ない場所だ。
ただ、それでも懐かしいと思えた。
もっとどうでもいい場所に変わっているかと思った。
地域でも相当悪名高い中学だった。なかでも自分の在学三年間はずば抜けていた、と聞く。
今はどうだか知らない。


昔家族と住んでいた団地にも行ってみた。
ここもアホみたいに変わらなかった。
…正直狭かった。
大学までそこにいた。姉貴は仕事を始めると早々に出て行った。
幼心に、自分の部屋が無かったのが不満だった。
でも、そこで過ごしていた。ずっと過ごしていた。
不思議と家族の間で、喧嘩は少なかった。
後にも先にも、本気の喧嘩は自分の将来について揉めた、あの時だけ。
苦い。


同じ棟の階段には、色々な住人がいた。
ガキの頃、よく家を追い出された。
「言う事聞けないなら、家にいなくていい!!」説教における超必殺技だ。
家にいられない、というのは当時のガキにはかなり堪える。
と思ったが。
自分はガキのくせにしたたかで、ご近所さんを避難場所にしていた。
上の階のオバチャンはしようの無い、といった顔をしつつも、自分を家に上げてくれた。
飲み物まで出してくれた。
今にして思うと…しかられたのに反省してねぇな俺。
ドアの前から姿を消した自分を心配した母親が迎えに来るまで、そこで休息。
「そちらにうちの子供がお邪魔を…」「はいはい、来てるわよ」玄関先で聞こえるいつものやりとり。
平謝りの母。穏やかなご近所さん。で、帰宅。
母はしぶしぶ自分を家の中に入れるも、ドアが閉まった途端…尻をピシャリ。それで説教終了。


もう一度お会いできたら、と思った。
話す事なんて無いが。それでもだ。
結論から言うと、まあ会えなかった。
理由は、推して知るべし、だ。





ひとしきり歩いた。
恐ろしく時間の流れが緩やかに感じた。心地良い時間だった。
「思い出す」のとは違う、記憶に何かが触っていくだけの、ただそれだけの時間だった。






夕方というか夜。
今度は役者仲間と舞台観劇。
シアター・ドリームズ・カンパニー「えにし」



笑った笑った。周りの客にウザがられるくらい笑った。
観終わった後、出演していた知人の役者さんに「笑いすぎ」と叱られるくらい笑った。


そして最後で泣けた。
印象に残る台詞。



負けてもいい
逃げるな
いつも堂々と 
誇りをもて
心で 口笛を吹け



ありふれた言葉だが、今の自分を抉った。
人間として、役者として、多くのヒントを頂いた。
この舞台を観ることが出来て、本当に良かった。





なんという一日だ。
こんな日があるなら、自分はやっていける。
こんな日があるから、自分はまだ生きていける。