仏の顔も3℃まで

はてなダイアリー終了に伴いお引越し。思い出は残しておこう…。


狭く浅くしなやかに。惰性の赴くまま更新。用量・用法を守って正しく服用を。
現在、鋼のシスコン番長と全国の貞夫さんと西住殿マジ軍神を応援しつつ、サイト休止中…。
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…という挨拶すら懐かしいな…みなさん元気に趣味に邁進されてますか?


↑web拍手です。ここで会ったのも何かのご縁。うっかり読んじゃった記念に押して下さいませ。

癒えぬ傷跡

もう五年も経ったのか(挨拶


9月11日。
あの「事件」のあった日。
ちょうど自分は、引越しの準備に悪戦苦闘していた。
部屋の模型やら本やらが一向に片付かず、夜中に発狂しそうになったのを覚えている。


テレビの梱包は最後だった。
一息つこうと思い、リモコンから電源を入れた。


…様子がおかしい。
混乱と緊張がブラウン管から滲み出す。


高層ビルに吸い込まれるように向かい、激突する飛行機。
何度も何度も、テレビはその映像を自分に叩き付けた。


自分には確固たる主義も主張も無い。
信仰の意味などさっぱりだ。
義務教育や自分の探究心から調べた知識など、実際に信仰で生きる人間からしてみれば紙くず同然だ。
「アナタは平和ボケしてますか?」と聞かれれば「はいそうです」と即答できてしまう。
「信じるものの為に死ねますか?」と聞かれれば「いやどうだろ」と即答できてしまう。


そんな自分でも、吐き気を伴うような「悪行」は理解できる。
ヒトを活かす為に信仰はあると考える。それ以上でもそれ以下でもない。
神様を信じたい奴は勝手に信じていろ。


信じるものしか救わない。大いに結構だ。
他者を排除しなければ保てない信仰心もあるだろう。
自分の命を武器にしてでも守るべき崇高な理念があるのだろう。
俺の生きてきたぬるま湯のような日本とは、別次元の世界がある。


それでも。
あれは違う。絶対に違う。
くだらない主義主張、政治、個人的感情の意趣返し。
そういった信仰と最もかけ離れた世界に負けて。
ただの暴力、殺人を肯定する理由付けに成り下がる。
その程度の信仰なら。
滅んでしまえばいい、と思う。
人間はどんなに逆立ちしたって、天罰の代行者には成れない。


テレビを仕舞った。
翌日、帰る家が変わった。
帰る家のない者もいる。
帰る家に、永遠に帰れない者もいる。


五年たった。
引越しの記念日は、つまり、そんな重たい日だ。