仏の顔も3℃まで

はてなダイアリー終了に伴いお引越し。思い出は残しておこう…。


狭く浅くしなやかに。惰性の赴くまま更新。用量・用法を守って正しく服用を。
現在、鋼のシスコン番長と全国の貞夫さんと西住殿マジ軍神を応援しつつ、サイト休止中…。
説得力皆無ですが画像の無断転載はご勘弁下さい。  
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…という挨拶すら懐かしいな…みなさん元気に趣味に邁進されてますか?


↑web拍手です。ここで会ったのも何かのご縁。うっかり読んじゃった記念に押して下さいませ。

これは言っておきたい

…会話する事を拒む姿勢は若さの汚点だ(挨拶
すいません、愚痴ります。



とりあえず人の話は聞いてくれ。
一語一句を理解しろ、記憶しろ、と言っている訳ではない。自分が意見をぶつけるに足る言葉を聞き逃すな。受け取り逃すな。
ただひたすらに、自分に対して心と時間を砕いて相対している人間がいるのだ。なにも感じないのか。心は反応しないのか。まっとうな人間なら出来る事をしていないのは、ただの怠惰だ。
反論、異論があるのは分かる。無ければおかしい。それを示して欲しい。では何故それを隠すのか。「分かってます」というフリと言動を示されると、怒りを通り越して…むしろ哀しい。
怒るところは怒れ。感情を爆発させる言葉を待ったり、会話を終了させるための理由としてパフォーマンスでキレたりせず、理論と信念で怒れ。相手はそれを待っている。イェスマンなど問題外だ。
討論、会話は詰まるところエゴのぶつけ合いなのだ。相手も自分と同じく、意見、思想、想念、そして感情をもって話しているのだ。
相手は肯定も否定も待ってはいない。ただ真摯な姿勢をのみ求めている。お互い様だろう。
自己の悲壮を盾に他人の庇護を買う事はたやすい。だがその前に出来る事はないか。感情の浮き沈みに身を任せる前に、言いたい事はないのか。
口先だけのフォローならいくらでもしてやる。だがそれが欲しい訳ではあるまい。
個人としての評価をすら下せない場所に自身を置いていると、早く気がついてくれ。
そうしなければ、私は君と「会話」が出来ない。
君を一個人として認識できない。




…長々と書き連ねましたが、結局
「好きも嫌いも無い。言いたい事はちゃんと言えよ」って事です。
…意味わからんなぁ。 オレはこういうの、上手くないみたいだ。