決着は人間の手でつけます
どうか手を お出しにならないで(挨拶
ぶっ壊れたPCを一度自宅に引き取ったのは以前書いたとおりですが。
データコピーの合間を縫ってやっとこさ「ひぐらしのなく頃に解」をプレイしました。
が。
皆殺し編プレイ時にも感じていた違和感…というかなんというか。
世界にイマイチのめり込めない空しさが付きまといます。
「ひぐらし」の良さって、ある種の「不自由さ」ではないかな、と勝手に解釈してます。
第一話から第四話(第五話もふくむかな)までは…先の見えない恐怖と難解極まる事件。
さらに選択肢に代表されるプレイヤー主導の操作・ゲームへの参加要素を極力廃止。
「ただ読むだけ、手が届かない。なのにプレイヤーにとても近い場所にある」という不自由さが、却って事件解明への意欲と想像力を喚起してくれました。
なのですが。
解明編が始まってから、その不自由さが別のものにスライドしていくように感じています。
タネのばれた手品は確かに魅力を失いますが、それも踏まえて、事件を裏側から観るという行為は本来とても楽しいものです(俺はね
それが楽しめない。
なぜなら。このネタばらしの段階に来て初めて、作者の思想・主張があまりに透けて見えすぎるのです。
前作の自衛隊の一件しかり。
今作の罪とその罰のあり方しかり。
はっきり言います。押し付けがましい。
作品に込められた思惑をどう評価するかはプレイヤーの仕事。
その自由さが足りない…というのは言いすぎでしょうか。
なんだかんだ文句をたれつつ結局はプレイ(ぇ
カケラ紡ぎの際、妙に詩音がハブられててかわいそ、かわいそなのですとか感じたり
赤坂に改造コードによる修正がかかってるんじゃないかと疑うほどの成長がみられたり
鷹野もまた被害者なんだね…とか安い同情はワタクシしなくってよ、とへそを曲げたりしながら
遊んでます。
え?アニメ版?
感想書けるほど内容がないよ。
面白かったのは最後に提供会社紹介するところで例のビニール袋にモザイクがかかってたところかな。
何であそこだけモザイクやねんw